平成17年にNHKの大河ドラマで「義経」が放映され、静御前の存在が浮かび上がった。 【静】の母は白拍子(男装して歌舞を見せる女)の磯禅師で、平安時代末期から鎌倉時代にかけて盛んになった芸能(田楽・猿楽・白拍子・童舞など)の隆昌の中で、白拍子【静】の存在については、歴史書「吾妻鏡・平家物語・義経記」に記述があるが、不思議とその出生や特に晩年の消息については明らかでない部分が多い。 このことから【静】の墓と呼ばれる碑は日本各地にあり、静御前の謎は深まるばかりである。 当地区(阿東町大字徳佐中字片山)にも古くから「尼になった【静】が浮世から身を隠すように母や侍女と庵寺そうけ(笊笥)庵でさびしく晩年を暮らした」と言い伝えられており、墓(宝篋印塔)が昭和57年8月11日に文化財として調査を受けている。 ここに義経を愛慕し、ひたすらその安否を気遣う、【静】の心情を思い、当地(阿東町大字徳佐上字野坂)にある願成就山の麓の”道の駅「願成就温泉」”に遠く離れた平泉に想いを馳せる【静】のブロンズ像を建立した。 幾星霜を経て、非情な歴史の歯車に引き離された【静】の願いがその名のごとく願成就し、【静】の生涯を多少でも供養できればと思うのである。 このブロンズ像の扇子は義経の墓がある平泉の方向を指している。 また、ブロンズ像の傍の桜の木は「静桜」と言い【静】が晩年に杖にしていた桜の木が根付き満開の花をつけ、人々の心を癒したという言い伝えからがある。 |
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「静御前ブロンズ像」建設の経過報告 阿東町徳佐中片山 杉 薫氏所有の山林に在する墓所(宝篋印塔)が「静御前の墓」と、古くからこの地区に口伝えられ、これをより広く伝えるため、道の駅「願成就温泉」にブロンズ像を建立し、墓所への道標を整備した活動の経過を報告します。 昭和50年8月・ 阿東町誌に「静御前の墓所」について記述があることから、徳佐夏祭りのイベントで紹介された。 平成17年5月・ 会長 椿 包光の永年の夢だった「静御前の墓所」の存在を もっと、世に広める目的で、 静御前のブロンズ像を、道の駅「願成就温泉」に設置する案が 固まる。 平成17年6月・ 役員会で17年度事業として定時総会に諮ることを了承する。 ・ 「墓所」についての調査を始める。 平成17年7月・ 定期総会に諮り承認され、本格的に事業に着手する。 ・ ブロンズ像の制作を、山口芸術短期大学 松原 茂 助教授に 依頼する。 平成17年8月・ 「静御前の墓所」への道路を整備し、案内石碑を設置する。 ・ 滑關ャ就にブロンズ像設置の承諾を得る。 ・ ブロンズ像の設置場所、及び周囲の整備計画を決定する。 ・ 「静御前墓所」の観光マップ・パンフレットの企画をする。 ・ 「静御前墓所」の観光マップにあわせて、国道・町道などに 案内板の設置計画を企画し、土地管理者と協議する。 平成17年9月・ 「静御前のブロンズ像」の素案が完成し、本格的に制作に移る。 ・ 「静御前」の墓所を整備するため、抜魂供養をする。 平成17年10月・ 看板及び案内板の設置を着手する。 ・ 会長 椿 包光が、岩手県平泉町の義経の墓所(義経堂)を 訪問し、「静御前のブロンズ像の建立」の主旨を報告する。 ・ 片山地区の協力を得て「静御前」の墓所の整備が終了し、 開眼供養をする。 ・ 山口新聞に「阿東に静御前伝説!?片山集落「墓」の 周辺整備着々」と載る。 平成17年11月・ ブロンズ像の除幕式の案内を山口県庁記者クラブに配布する。 ・ そうけ庵堤が現地に見つかったことから、山口県文書館へ 最終調査に行く。 ・ ブロンズ像を「願成就温泉」の庭園に設置し、開眼供養をする。 ・ 「静御前墓所」の観光マップ・パンフレットの作成・配布をする。 ・ 除幕式を挙行し、「静御前のブロンズ像」を 滑關ャ就に贈呈する。
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