明治33年 椿角太郎氏が島根県鹿足郡木部村吹野の正法寺にあった核無し柚子(たねなしゆず)の穂木を乞うて数本持ち帰り、枳殻(からたち)(キコク)台木に接木したところ、明治40年ごろから結果するようになった。正法寺の原木はすでに枯死しているという。
果実はひらたい球形で、きわめて小型であるが、食酸量はふつうの柚子と変わらない。
昭和32年10月19日山口県文化財「無核ユズ」として指定されていたが昭和38年の豪雪により惜しくも枯死し、県の指定を解除された。現在2世も枯死寸前で3、4世が成木となっている。
地元の人は角太郎の名に因んで「角太郎ユズ」とよんでおり、核無しの特性を備えているため、穂木を乞う人が多く近隣に広まっている。
伝来のはっきりした地方的品種の原木として貴重なものである。 |