鰐口とは仏堂などの軒先に吊るし、布などで編んだ太い緒を垂れて拝礼のとき打ち鳴らすものである。
ここの鰐口は青銅製で大きさは直径35p、厚さは15pで町内にある鰐口では最も大きい。
天文17年(1548)の作で銘帯に「奉寄進鰐口之事右防州吉敷郡高藏荒神祈志者為現当二世祈願円満皆成仏道也天文十七年戌申卯月廿八日山口町人講衆等敬白」の美しい彫の陰刻がある。
この鰐口は、吉敷郡恒富村(現山口市平川)にあった願成寺(高倉三宝荒神と併立)の什物(じゅうもつ)の一つであった。明治の初め、廃仏毀釈(きしゃく)により廃寺となったため、山口市大内柊の福厳院に移され、更に地福山田に寺号を引いたときに運ばれたと伝えられ、文殊堂の入口にかけられていた。現在は本堂に納められている。 |