この古墳は山口県にある前方後円墳25基の中の一基で、山口県北部では唯一の前方後円墳である。しかも県下で横穴式の石室をもつ前方後円墳5基の中の1基で貴重なものである。
全長約35m、後円部の高さ約4〜5m、石室の全長約8m。玄室の長さ約3.6m、巾1.7m、高さ約2mで県内ではやや大型の前方後円墳である。平成6年に発掘調査され、つぎのようなことが解明された。
ア.古墳の規模、時代、構造が明らかになった。
イ.昭和40年ごろの乱掘によって、石室内は荒され、副葬品は少なかったが勾玉(まがたま)2個(瑪瑙(めのう))、管玉(くだたま)4個(碧玉)、ガラス小玉3個、耳環1個(銅)、鉄器(やじり、刀など)の破片、須恵器(すえき)(杯、壷、高杯、平瓶、子持壷)などが出土した。
ウ.墳丘は、ほとんど盛土によって造られている。
エ.追葬の痕跡が認められる。
オ.石室は南西方向に開口している。
前方後円墳を造ることができるのは、畿内の王権から認められたものであり、この地に強大な豪族がいたことがわかる。 |